carmine跡地

はてダの跡地です

合作という言葉がそもそもなんだかね。

合作なんてべつに特別なことじゃない。曲と詞を別々の人が書きゃどんなもんでもつまりが合作なんだべ。私は合作だとか提供曲だとかどうでもよくて(いや、そうじゃないけど。私はふたりがふたりでつくる曲が大好きです。)、とにかくKinKi Kidsというグループに、意味のある活動をしてほしい。私には正直夏模様とか約束とかの意味がよくわからないのね。あのシングルなんだったんだろう?って思ってる。ふたりが歌うことに何の意味があったのか、よくわからん。そりゃ私はファンですから、ふたりでテレビに出てくれたら嬉しい。露出があったら嬉しい。だけど、あのタイミングであの歌を歌う意味がふたりにどれだけあったんだろう?って考えると、よくわからない。タイアップがついてたわけでもないし…ただ単に露出的満足だけしか味わっていない気がする。まあそれを言ったらビロードもなんかよくわからないんだけどあれはMステに3週連続出演してドラマを生んだということで違う意味でナイスシングルになってしまったわけで…まあそれはいいんだけど。リリースするという目的だけのやっつけシングルなんてべつにもう出してくれなくていいんだ。勿論適当に選んで適当に歌ったなんて思ってないけど、それでもこう、芯に何かがあるんだとはあまり思えない…何を思ってのアクションなのか伝わらないままに過ぎてしまうのは正直むなしい。もういいトシですから、その一瞬ふたり揃うというだけの無為・無難なことされてもなあ、と思ってしまいます。いやいや、わかりませんよ。全てが「今」への布石なのかもしれないですけどね。表面的によくわからないだけで。でも、わかりにくいものはもういらないなあって思うんだ。
KinKi Kidsは誰のもの?
そんなの知らん。こーちゃんとつよしだけのものでは確かにないのだと思う。こーちゃんとつよしでKinKi Kids。だけど、KinKi Kidsはふたりだけのものではない。そこんとこがいろいろと重たくならざるを得ない部分なんだろうけれど、でもまあそれはもうしょうがないじゃん。だってこーちゃんの好き勝手にもつよしの好き勝手にもできないんだもん。そういうものなんだもん。しょうがない。でもその『しょうがない』っていうのは不自由を嘆く為のものではなくて。ふたりはそのKinKi Kidsという…いろんな人の思いが集まったモノをちゃんと愛してる。大切にしてる。自分達こそが核なんだって、ちゃんとわかってる。核がひとつじゃないって素敵なことだと私は思う。別個の人間で、考え方も違う。その「違う」ということがどれだけ素晴らしいことか、わからないわけはないと思うんだけどな。同じものを見つめながら、いろんな考え方ができる。どちらかに天秤が傾くのではなく、バランスが取れる。行き過ぎるひとりを、もうひとりが引き戻すことができる。視野を補い合える。世界が広がる。ふたりとも、もう何年も前から口にする思いはブレていない。例えば楽曲についてつよしは「ふたりでアルバムつくりたい」と言い、こーちゃんは「提供していただいた素敵な曲を歌うこともできるし、つよしが言ったように自分達でつくることもできる。すごく素敵なことだよね」と言う。一つのグループに、複数の視点。KinKi Kidsの可能性はいっぱいいっぱい広がっている。
つよしが「ふたりでアルバムをつくりたい」っていうのもすごくわかるんだ。だって、1曲をつくるのとアルバム1枚つくるのって絶対違うじゃないですか。今まで何曲か作詞作曲をふたりでやってきて、じゃあその先としてアルバム制作へ挑戦したいと思うのはとても自然なことだと思う。だから、スケジュールだとか諸々をクリアできるときが来たら、是非やってみたらいいじゃん。70分弱の世界観をふたりがどう紡ぎ1枚のディスクにおさめるのか、私は見てみたい。そしてそれはふたりにとってのゴールなんかじゃ別にないから。それはふたりが手にしている無数の可能性のひとつにすぎない。けど、その可能性を手にすることができないひとだって世の中にはたくさんいるなかで、こーちゃんとつよしにはそれが在る。いろんな可能性を持っているということはなんて幸せなことだろう。


31作連続1位、おめでとう。たくさんのスタッフのみなさんの思いと、ファンのみんなの思いと、その思いを全部受け止めて歌ってくれるKinKi Kidsのふたり。私たちみんなの幸せな記録だと思っています。順位なんてどうだっていいさ。だけど、まわりの人たちの思いを大切にしたいと思ってるふたりがいるのなら。私はそんなふたりの思いについて行くのみですよ。おめでとう。