carmine跡地

はてダの跡地です

9/7マチネ 梅芸!

梅田芸術劇場でのSHOCK初上演。観てきましたわー。
初めて、SHOCKを見始めて初めて、ハズレの回だったなという感想を抱いてしまった。衝撃的。いや、なんていうか、一幕のこういちさんの身体のキレが全くなくて。どうしたの?体調悪いの?踊り方意識的に変えてるの?なんなのこのモッタリしたダンス…?って思って首をひねっておりましたら、二幕はなんだよいつもの座長だよちゃんとダンスキレてるよ。そして一幕はなんか発声もあんまり良くなくて、屋上でも音が綺麗に出てないしセリフ不明瞭だし、ボイトレ裏目?と思ってしまいました。しかし二幕は持ち直してて、頭の中がハテナマークでございます。なに?どうした?一号が調子悪くて引っ込んで、二幕から二号にチェンジしたんじゃないのか。SHOCK観ててこういうふうに思ったの初めてでした。重ーい動きの座長のダンスに、どうしようこーちゃんの全盛期はもしかしたらもう終わっていたのかもしれないこれからはこういう、衰えを感じるダンスと芝居を見ていかなきゃいけないのかな、とまで考えてちょっと呆然と観ておりました。あんまりびっくりしたんで書き記しておくよ。マチネでまだ寝ボケてた疑惑…かんべんしてくれ。
とまあ一幕にはそんな散々な印象を受けたんですが、二幕は私の大好きないつものSHOCKでした。嘘じゃなく。夢幻、ボロ泣き。私の心を打つのは、こーちゃんの「無心」なんだろうなあ。今回梅芸でのSHOCKを観て、昨年初めに博多座で観たときよりも自分の中で目線が冷静になっているというのもあるんだと思いますが、とても新鮮な気持ちで観てたのです。台詞の裏や先を自分の脳が補わず、今目の前の舞台で繰り広げられる光景と耳に届く台詞と歌とがそれ以上でも以下でもなく脳に入ってきた。そしたらですね、なんだこの「こなしてる」一幕…って思ったのでした。台詞が上滑りで、ストーリーを進めることにとにかく終始してるというか。芝居部分がそんなに多いわけではないのに、歌と踊りの場面で物語を進められないのが時間的に響くんだろうなあ。普通のミュージカルだと歌が台詞兼ねてるから、進むもんね。歌ってても。でもSHOCKはショー劇だから。深く考察しながら観てないと、凄い勢いでトントン進んで行く物語が右耳から左耳に抜けて行ってしまった。とにかく話の展開が速くて、それぞれの場面で登場人物たちが何も深さを出せずただ説明台詞を猛然と喋ってた。
型があって、それを流れるようにこなしていっているように感じた。宝塚のベルバラもそうじゃないですか。あれはもう、伝統の型。その型を愛していれば泣けもするし台詞と台詞の間を脳内が補完して膨らませられるけど、思い入れも無く予習もしてなかったらそりゃあもう盛大に上滑る。見た目の麗しさだけ楽しんで、いやーやっぱベルバラはきれいだね!ザ・宝塚だね!オスカルとアンドレだね!テンション上がりまくるね!あー面白かった!で終わる。私自身はベルばら観てそういう感じだったのだけれど、しっかりとベルばらに向きあって深く付き合って来た友人は涙を零すわけです。その姿に、ああ素敵だな、型をしっかり理解してそしてその先も豊かに解釈できるのって楽しみ何倍にもなるよな、と結構感動しました。SHOCKが私にとってまさにそれなのです。
今回の梅芸観劇では初見の頃のように予備知識無しで観ているかのような気持ちで、でも新鮮な感動は失われていて…という、まったくもって中途半端な自分のスタンスとなってしまいました。大好きなんだけどなんだろうなこの冷静な自分。単純にこーちゃんの髪型が好きじゃなくて没頭できなかったとかそんな理由なのかも。台無しな感じで終わります。