carmine跡地

はてダの跡地です

私はどうしても剛さんに厳しいみたいだ。
なんでだろうと考えてみたら、これは本人達に対して失礼かもしれないのだけど
基本的に光一さんは「出来ない」人、剛さんは「出来る」人だと思っているみたいだ。
光一さんは歌が下手、踊りも下手、演技も下手、喋りも下手。剛さんは歌が上手い、踊りが上手い、演技が出来る、喋りも自力で出来る。そういう大昔のお子様だった時代のKinKiのイメージが多分脳裏に焼きついてるんだ。そんな全てが剛さんに劣ってる(ああほんと言い方悪くてごめんなさい。)光一さんがふと気付いたら歌もなかなか上手くなり踊りも頑張ってて演技も子供の頃よりはまともになり一人でも喋れるようになってそつなく進行とか出来るようになって。おお、光一成長してるじゃーんとここ数年で思ったのだ。それに対して剛さんは「出来る」というイメージがあるもんだからある程度の水準はクリアしててももっと出来るはずでしょ?というふうに思ってしまう。歌も気持ち悪い癖をわざわざつけて歌って本来の良さを消してしまってるのが気持ち悪い。踊らせたら最高なのに踊らない。ドラマもろくなのに出てない。喋りもなんか自分ひとりで悦に入ってるようなキャラになっちゃった。そういう剛さんにやきもきしてたんだ。多分嫉妬。才能のある人がその才能を充分に生かしてないことに対して嫉妬。出来るのになんでやらないの?!私には逆立ちしても出来ないことをあなたは出来るのに、なんでそれを全力で魅せてくれないの?!甘えてんじゃねえよ!っていう嫉妬。
なんかのインタビューで(WOだったかな?)剛さんがライブを見に行ったら近くにいた客がそのアーティストのステージ・音楽に対して「変っちゃった」みたいなことを言ってて、それを聞いた剛さんは嫌なら来なきゃいいじゃん、好きなのに文句言ってるなんて理解出来ない、みたいに思うと言っていた。それを読んで私は剛さんに反論したくってしょうがなくなった。好きなら全部受け入れられるとは限らない。そのアーティストの音楽性がいくら変ってもついていくのは「好き」だからというのは違う。「好き」が最初にあってその人のやることが全部好きなんじゃなく、その音楽に心打たれたから好きになっただけ。そのアーティストのやること全てを肯定するのは違うと思う。自分にとっていい音楽ならばついていくけれどちょっと自分のベクトルと違ってしまってそれを素晴らしいと思えなかったら首をかしげるのは当然だ。ただ絶賛するだけがファンじゃないと思う。疑問を提示するのは当たりまえ。今までずっと好んで聴いててライブにも行ってたアーティストが新しいアルバムを出しました。イマイチぴんときませんでした。でもライブには行ってみよう。で、ライブに行ったらやっぱり自分にはその方向性が最良とは思えませんでした。そこでファンをやめるか?私はやめないタイプ。次のアルバムも聞くだろうしライブにもまた行くと思う。そこでまたそのアーティストがどう進化するのかそれもまた楽しみなので。剛さんはそうなのかもしれないけど、誰もがオールオアナッシングじゃないんだぞ。まあライブ会場で周囲に聞こえるように否定的なことを言うのはマナーの問題だとは思いますが。


なんか話が激しく脱線してますが、そんな以前の剛さんに感じてた嫉妬が阿呆らしいということに気付いた。迷ってた時代は過ぎて、剛さんは自分のやりたいことにまっすぐ向かえてるんだろうなと最近とても思う。そしてそんな剛さんはいい顔をしてる。昔に比べて目がとてもしっかりしてるよね。真っ直ぐ前向いてる目をしてる。