carmine跡地

はてダの跡地です

ども。

拍手ありがとうございます。SHOCKのことを書くとほんとうに拍手をたくさんいただきます。そんなことでも感動してしまう私。毎年冬は涙もろくていけねえや。


「コウイチについて」を書かない、書けないのは、私がコウイチのことがわからないからです。わからない。あの人はわからない。
コウイチが体全体で表現するそれを感じ受けることでとにかく精一杯で、他に何かを整理して考えることがまだまだ出来ません。きっと冷静に劇評として何かを書ける日なんて来ないのかもしれません。でもそれもまあしょうがないのかもしれないな、とも思います。私は批評を仕事にしているわけでもなんでもなくファンとしての主観でしかものを見れません。私がここに書き散らしている事は私の主観です。私の主観でしかありません。それだけは自分でもわかっていますし忘れていません。




そういえば次の観劇までに書いておきたかった感じたことが全く書けないままだ。ちょっと落ち込む。文字に起こさずに心に沈んでいる言葉がたくさんたくさんあります。良し悪しですなあ。


でもちょっとだけ。

  • コウイチについていくだけで幸せなの、ショーに突き進むコウイチの姿が好きだから…というリカの台詞がすごく泣けた。つい私もリカと一緒にウッて泣けてきてしまいました。私が好きなまりかちゃんの良さ…まっすぐさや健気さがすごく自然に感じられて切なくなった。あの時点でリカは迷っているんだな。「自分の心に嘘ついてんじゃねえよ!」というトウマの言葉で彼女は何を思ったんだろ。毎年告白シーン〜夜の海のリカの言葉を聞きながら思うんですが、やっぱり女は強いわ。一旦切り替えたらもうそこからは強い強い。タンドリ様の問題作「Man〜あなたの宇宙に生きていたい〜」「Woman〜あなたの宇宙に生きていたい」を聴きながらもそう思いました。女はつええ。
  • トウマがリカに断罪されることを望んだのは、リカが「コウイチについて行けた」人だからなのかな。正しい(わけではないけれど)人間に裁いてもらい救われたいという思いなんだろうか。そう考えるとコウイチに断罪を求めないのは面白いなあと思います。自分が直接傷つけたコウイチに自分を殺させるのではなく、リカに殺されることで楽になれる、とは。復習ではなく裁き、なのだろうか。トウマにとってのコウイチの位置付けってどんななんだろう。今更ながらその根本を考える。