carmine跡地

はてダの跡地です

伝播

うん。
なんていうか、ずっと考えていることがあって。
アイドルって大変だなと。
アイドルに限らずなんだけどさ、人前に出て、いろんなひとのある意味超純粋な「好き」っていう興味を全身で受け止めて生きるのってほんと大変だなって。あ、そういう意味で言ってたんじゃないのに、とか。そんな弱々しい意味じゃないのに、とか。そういうふうに思うことがちょっとあって。私の見えてる範囲ですらそうなんだとしたら、もっともっと大変であるあの辺りとか、どんだけファンの想いが足かせなんだろなーとか思って。基本的に雑誌のインタビューなんか信じなくていいよ。あなたの解釈は自分にとって都合の良いものでしかない。それは断言する。脳は、自分の望むものを選択するだけ。顔を歪ませて言っていたのか、輝く笑顔で言っていたのか、しょんぼりか細い声で言っていたのか、おどけた様子で言っていたのか。そんなことわからないでしょ?文章のみで表現される創作の世界ではなくて生身の人間が喋っていることを媒体の都合で書き起こし凝縮し限られたスペースにおさめているものなのだから、伝わらなくて当たり前。そのインタビューが自分の気に入る物ではなかったとしてもそれはあなたの脳がそう判断しただけ。気になる言葉があったとしてもそれが真実かどうかなんていうことはあなたの心が『そうあって欲しい』『そうなんじゃないのかな』と思う方を選択しているだけ。表情や声色というものが付随していない分、脳はそれを補完する為に自分に都合の良いストーリーで補完する。
大好きだ大切だと思っているその姿は自分が望んだもの。どうして?なんで?と疑問を抱き時には怒りすら抱いてしまうのだとしても、その姿も自分の心が見せているもの。全ては自分の心の中の問題です。愛しいと思うのは何故?憎いと思うのはどうして?自分に問いかけてみるといい。私はいつもいつだって問いかけ続けているように思う。一瞬はそれが正しいと思う。次の瞬間には違うと思っている。また違うときには全く違う方向から考える。それの繰り返しだ。考え方が一定ではないのは罪でしょうか?すべてを肯定して生きていかなければいけませんか。べつにそれは人それぞれで、責められることでもなんでもないですよね。私も、あなたも、彼らも、変わる。今日が良い天気だったかしとしとと雨が降っていたか、それだけのことで人の気持ちなんて揺らぐ。それは誰かに咎められたりすることでもなんでもない。絶対に。私にとって正しいことは、“今”の私が感じた気持ち。それが全て。今日感じた気持ちに明日の私が縛られること、明日感じる気持ちが今日の私に縛られること…それだけは絶対に嫌。昨日は泣いて叩くほど腹立たしいと思った悔しいと思った。だけど今日は泣くほどの愛しさに満ちている。それは矛盾しているのではなく、全てが私の感情。ねえ、そうやって揺らいで何が悪いの?