carmine跡地

はてダの跡地です

アイドルというもの

剛さんのアイドル観が古臭すぎるとぽかすかに言ってみたわけですが、私は将来剛さんがあの事務所を辞めるとはこれっぽっちも思ってません。だって剛さんは生まれながらのアイドルだと思うから。あんなにアイドルとしての天武の才を持って生まれた人はいないのではないかと思うくらい。あれ程素晴らしいアイドル性のある人がジャニに所属したのはそれこそ運命であり必然であるのではないでしょうか。何不自由なく、立場を最大限に活用できる場所にいるからこそ今の剛さんが在る。もちろん本人もそこんところはよく解っているのではないかと。
アイドルであることが当たり前すぎてそこに価値を見出せて無いのかなあ。私なんかは生まれついての一般人なので、アイドルとして輝ける稀有な才能がそこらへんに転がされてるとあああ勿体無い!と思ってしまうのですが。天才って残酷。剛さんのアイドル観も天才ゆえの古さなのかしら。彼の考える「アイドル」(あくまでも古い「アイドル」)に彼は飽きちゃったのでしょうね。
でも本人がいくら飽きててアイドル性を磨こうとしていなくても、それでも私の目には彼はアイドルとして映ります。華があるとはこういうことを言うのだ、と痛感します。作為なのか無作為なのか、放出され続けるヤバいオーラ。素通り出来ない存在感。そこにいるだけで華やか。親しみやすさよりも手の届かない至高の存在としての光を強く感じる。選ばれる側ではなく選ぶ側。それはもう否応無しなのです。
アーティスト・ミュージシャンなんて狭いくくりで納まる才能じゃないと思うのですよ。あれは。だってもの凄いもの。


剛さん本人はそう思ってないのだろうし、剛さんファンのかたに怒られてしまうかもしれませんが、私には剛さんは自分にかけられた鎖が大好きなように見えます。縛られているからこそ輝く。鎖を解こうとして暴れているようにはあまり見えないのです。だって解こうと思えば解ける鎖じゃありません?もし本当に逃れたいと思っているのならば、ね。いつか本当に鎖から解き放たれるときが来るとして、そのとき彼は解放を感じるのか喪失を感じるのか。本当のところどちらなのでしょうね。うーん、どっちもかな?