carmine跡地

はてダの跡地です

ガヤガヤ五月蝿いわ。

最近の報道やインタビューなどで「自分らしく」とよく見かけますけど、べつに今までの環境がそれを許さなかったんじゃなくて自分から積極的に働きかけようとしてこなかったからだと思うんですよね。そりゃやろうと思わなきゃ出来ないよー。スタッフやバンドメンバーとの会話だって、シャットアウトしてたのは剛さん本人だと思う。そういうコミュニケーションは「外」の世界だから出来ることでもなんでもない。彼の音楽が「どうせアイドル」と見られがちなのも別にアイドル・キンキのイメージが先行してるからじゃなくて2年前のソロ曲に原因があると思ってるのは私だけなんだろうか。だってあれを聴いて音楽的に評価するなんて無理だったよ。まんまミスチルでしかなかったから。当時ファンでもなんでもなかった一般としての感覚で言うと「ふーん、ミスチル大好きなんだねぇ。ていうかミスチルのパ○リ?もう一曲はシーナリンゴかい?この子にはオリジナリティってものが無いのかねぇ」としか思って無かったです。「外」で見てた私としては剛さんのパーソナリティに触れる以前に音が凡庸でありきたりで二番煎じだったから興味が湧かなかったのだ。当時10年来のミスチルファンの友人は露骨に「堂本剛の歌、あれなんなの?」と顔をしかめてた。そんなスタートなんだから世間が色眼鏡で見るのは当然だと思うんだよね。音楽を聴いて音楽を評価して欲しい、っていうなら評価されるに値する音楽をやってくれ、と思いました。(ちなみにそのミスチルファンの友人は「あの時は『は?』って思ったけど最近剛くん好きだよ!」と言ってました。)
そんな頃から2年。いつの間にやら大変イタタなキンキファンに変貌した私です。ファンの欲目を差し引いても「si:」はとても良いアルバムだと思ったし、他者の影響に自分の色を消されるのではなく、自分の中で消化して変化させより自分らしさを強調することが出来てきてるとも思った。剛さんの個性に思い入れが無い人でも受け入れられるとてもいいアルバムだと思った。だからこそ「脱・アイドル」を声高に主張するんじゃなくただじっくり腰据えて音楽をやっていけばいいだけのことなんじゃないのかな。良い音楽をする人間にアイドルもミュージシャンも無い。
私は剛さんの音楽に「アイドルらしい音楽」なんて求めて無い。そんな人、いるかぁ?いるとしたらその人は剛さんのことが好きなんじゃなくて自分のイメージした剛さんが好きなだけじゃないかと思う。剛さんの人間性をまったく認めていませんよねそういう人は。お人形遊びしてるんじゃないんだよ。あの人は生きて呼吸してるんだよ。
これから先剛さんのする音楽と自分の嗜好がかみ合わなくなることがあるかもしれない。それはきっととても悲しいことだろうけれど、剛さんがファンに合わせる必要なんて全く無い。剛さんは剛さんの道を行けばいい。足元を気にしたり振り返ったり、そんなことはもうしないで前だけ見て進んでいけばいい。意思の宿った目で歌う剛さんの姿は本当に素敵だった。
剛さん本人、報道関係者などが思うよりもずっとファンという生き物は柔軟で強い。心配無用だ。