carmine跡地

はてダの跡地です

ぼんやりと思う

きんききっずに夢をみる。
いつもふたりにべったりくっついていてほしいわけじゃない。同じことをしていてほしいわけでもない。光一さんと剛さんは別々の人間なんだから、違うことに興味をもって別々の仕事をすることなんて当たり前だと思う。可能性をあれだけ持っているふたりなのに KinKi Kidsしか出来ない人生なのだとしたらそんなのつまらなさそうじゃないですか?KinKi Kidsで出来ることを最大限に引き出すというのとは全く別のところに個人としての表現欲求ってあると思うし。もう子供じゃないのだし自分のことは自分で出来る年齢、離れて立つこともそりゃ多くなるのが当然かと思います。別々の場所で独りをものともせず輝く彼らを見るのはとても嬉しいしエキサイティングだ。なんか前にも同じようなこと書いたことある気がするけど。
そう考えるのとは別で、KinKi Kidsとなるととたんに私の思考はウエットになる。ふたりを見ているとすぐ泣く。その気になればいつでも白昼夢を見れる。そうやって、ふたりに対して 彼らの間にあるもの・彼らのうしろにあるものにまで思いを馳せて切なくなれる自分で良かったと思う。ふたりがふたりであるということをこんなに大切に思える自分でよかったと思う。集団の中にはドラマがある。どんな単位の集団にもそれは必ずある。人と人が人生を絡ませてそこに生まれるもの、そのエネルギーを見つめることが出来て幸せだと思う。
グループであるという必然は生まれたときからあるわけではなくその中で育まれるものだ。そこに何を見るのかは、見ている側の自由。