carmine跡地

はてダの跡地です

女王の教室

賛否両論渦巻いているそうですね。私は賛でもないけど否でもないかな。
私の小学校5年・6年のときの担任はやっぱり女教師で、とにかくすごい人でした。
クラスは反抗することなど到底出来ず、ひたすらその先生についていくことで精一杯だった。今考えてもあの2年間は公立の小学生としては異様だったと思う。時間割の無い生活を送っていました。もちろん決められた時間割はありますが、そんなものを気になんかしない先生だったので毎日何が起こるかわからなかった。全教科をランドセルに詰め込んで通っていました。先生がばんばん出してくる課題を『これは何のため?』などと考える暇も与えられずひたすら手を動かしてこなす日々。考えていては間に合わないのです。毎日のように出される宿題は、ご飯を食べ終わり7時から始めて11時にようやく終えることが出来るくらい大変なものでした。課題の種類は様々です。山盛りのプリントの日もあれば発想力や創造力を振り絞り取り組まなければいけない図画工作まで、ほんとうにあらゆるものに日々取り組んでいました。私は私立受験組みだったので、毎日塾に通い学校の課題をこなし、毎日の授業で何が起こるかわからない緊張を強いられるのは正直ほんとうにしんどかった。時間割通りになど終わりませんので、クラブ活動をしているわけでもないのに下校が4時を過ぎることも頻繁で、塾には遅刻しっぱなしでした。もう嫌だ!と泣き喚きたい気持ちになったことも何度もあります。
ただ、大人になってからあの2年間を振り返るとほんとうに良い経験をさせてもらったと思っています。普通に小学校に通っていたのでは経験することの出来ない、脳をフル回転させた2年間でした。先生がなにを教えたかったのか、どういうポリシーで授業をしていたのか、今ならわかります。自分で「考える」ということを重視していたのだろうと思います。
2年間、毎日のように1分間〜2分間の作文をしていました。ハガキよりも少し小さいくらいのサイズの紙が配られ、全員に行き渡ると私達は鉛筆を用意して手は膝に置き、教壇の先生に注目します。先生はおもむろに黒板にお題をガガッと書きなぐる。このお題は毎日変わります。「りんご」「空」「夏休み」「手」「消しゴム」こんな感じで傾向など全くありません。とにかくすべてのことが題目になります。先生はチョークを置きこちらに向き直り「始め!」とストップウォッチをスタートさせる。私達は一斉に鉛筆を持ち、一心不乱にそのお題について書き始めます。考えている暇なんてありません。手を止めて考え込んだら、そこで終わってしまうから。1分・・・これは時に1分半だったり2分だったりしましたが、1分経つと「辞め!」と言われ、それが文章の途中であろうと無かろうと一旦そこに線を引き「ここまで」の印を付け、書けた文字数を数えます。それを毎日やっていた。
毎日のように出される宿題は、これは今思い出しても本当にしんどかった。いろんなものを作りました。1時間ではとても終わらない。いえ、終わらせてもよいのですよ。絵を描いたり物語を書いたり、デザインだったりそれは毎日違い様々だったのですが、計算のプリントや感じの書き取りとは違いどこまでやったら終わりと明確に定められたものではないので、短時間でぱぱっとあっさり終わらせることも出来た。けれど、そんな作品に先生は決してよい点数をくれないのです。情けない、と一蹴され、ポイです。私はその屈辱を何度も味わった。悔しいし腹も立つし先生を恨んだりもしました。けれど、一番強い気持ちは自分への情けなさなんです。周りの友だちの作品にくらべて明らかにクオリティの下がる自分の作品が、相応の低い評価を与えられしかも教室の後ろに並べられクラスメイトの目に晒される。恥ですよ。そういう思いをすると、文句のつけようがないものを作ってやる、という気持ちになります。そして結果的に宿題に毎晩4時間とかかかるわけで。
毎日大変だった。学校と、受験勉強と、力を抜けるところが全く無くてしんどかった。
授業は楽しかった記憶があります。時間割に捕らわれず、いろんなことをした。すぐに実践させる先生だったので、教科書とノートを使っている時間が少なかった。雪が降れば屋上へ皆で飛び出して雪合戦をし、校庭が空いていれば気が済むまでずーっと体育を続けていたし、音楽の時間でもないのに合唱の練習をしたり、家から林檎を持っていって皮むき大会をしたり、卵と器を持参して生卵を飲んでみたり、突然テストが配られたり、延々校舎の周りをマラソンしたり、晴れた日には屋上に出て日光を使った実験をしたり、二手に分かれて空き教室で人間ピラミッドを作ったり、廊下で「アンリ・デュナンーーーー!!」と叫ばされたり、一人一人が3分間自分についてスピーチをしたり、校内の草花を隅々まで観察したり、登り棒をのぼるスピードを競ったり、ラジカセに声を吹き込んでそれを再生して聴いたり、本当に毎日いろんなことをした。
今考えても意味不明なことがたくさんあったし、現実に私達はとても苦しんでいたし、問題をたくさん抱えた先生だったと思います。楽しいことばかりでは無く、恐ろしい思いもたくさんしました。先生の機嫌を損ねないように毎日必死に良い生徒を演じていました。なにか失敗をしでかしたり手抜きをしたりすると「後ろへ行け!」と怒鳴られ、座席が最後列に追いやられました。私達の教室において、一番後ろの列というのは最低最悪の席だったのです。一番良い席は、教壇の隣(今考えると 教壇の隣ってなんだよそれ?!ですけれど)の、先生に一番近い席だったのです。皆少しでも前に行くために必死。
先生と私達は、教祖と信者という関係が一番近かったのではないかと思います。今彼女は何をしているんだろう。生徒を叩いたりする人では無かったけれど、彼女の教師としてのスタイルは今の世間では激しく糾弾されてしまうでしょう。確実に。
けれど、あの時あんなに苦しんだ2年間でしたけれど、私は彼女のクラスになれて良かったなあと今は思いますし、めったに出来ない貴重な経験をしたと思っています。いろんなことを教わった。
それに当時のクラスメイトと再会すると、皆あの時のつらかった2年間を笑顔で話すんですよ。とんでもない目に遭ったよな〜、でもまあ面白かったよな、って。




あんまり長くなったもので、隠しました。
真矢がやっていることは、子供達の心にトラウマではなく何か実のあるものを残すんじゃないかな。そう思って「女王の教室」を見ています。