carmine跡地

はてダの跡地です

知識と感情

私はなんにも知らない。自分の目で見た以外のことはなんにも知らない。だから見たままを今そこにある時間を楽しむ。それこそが何も知らないものの特権なのでは。知らないということは残酷でかわいそうで馬鹿みたいなのかもしれないけれど、楽しいことでもあるのです。知りたくなんかはないし勘違いもしたくない。自分とその対象の関係だけを保っていればそれで満足。その関係は一方的なもので構わない。対象にとっては相対的であることなど百も承知で私にとっては絶対的な存在なのだ。関係を持ちたいのではなく見てそして影響を与えられたいだけであり、それ以外の他者との関わりを得たいと思っているわけでは全く無い。他者との関係により対象物の価値を確認する行為に興味は無い。何が言いたいのかというと、余計な人間関係に悩まされるくらいだったら一人で気楽に行きたいってことです。ここ数日イライラしている鎌でした。リアルを手に入れるのはたいへんです。私だって秋山に癒されたい。友達って要る?うげーなんかSHOCK終わった瞬間落ちてる。走り続けたその先に何があるのかなんて私にはやっぱりわかんないよコウイチ。わからないからこわいよコウイチ。こんな気持ち初めてだコウイチ。コウイチがいなきゃなんにも出来ないままだよコウイチ。コウイチもツバサもリョウもアキヤマもリカももう帝劇で待ってくれはしない。こんなんじゃSHOCK始まる前と何にも変わっちゃいないよ。歩いてるのかな。歩けてるのかな私は。歩くって何?走るって何?そもそもそこがわかんないよ。舞台上から投げられた問いは人生をかけて答えを見つけていく類のもので即答なんて出来るはずも無いとわかっちゃいつつもやっぱり考えれば考えるほど何かどつぼにハマっていく自分を感じるよコウイチ。連日の舞台通いや無茶なスケジュールでの地方遠征の達成感にごまかされてはいけないこの余裕の無い自分。まず部屋を片付けてみたらどうだろう私よ。遮光カーテンをを開けて光と風を入れてみたらどうだろう私よ。という感じで自問自答とはつまりその字の通り自分との会話なので自分でどうにかするしかないことなのでした。ジャニ語りですらなくなったまま終わり。別になんでもない。たいしたことじゃないから。では、さようなら。