carmine跡地

はてダの跡地です

アイドルと私

ほんださんにいただいたコメントにレスを書いていたらコメント欄がえっらく下に伸びそうなのでエントリで書きます。話題が出発点と全く違う方向へ走り出してる…ようでいて根幹は変わらないのかしらん。


ジャニーズで言うところの「担当」「自担」はハロプロでは「推しメン」ですよね。その言葉から両者のファンとしてのスタンスの違いが見えてくるような気がします。
担当という言葉から受ける印象は、ベクトルが内向きなんです。で、推しメンという言葉には外向きのベクトルを感じます。私とあの子の関係もしくは私の好きなあの子・私のあの子に対する世間からの評価、という部分に重きが置かれるのが「担当」で、あの子がこっちをどう思っていようと世間があの子をどう思っていようととにかく陽性の感情でもってひたすら見つめる「推しメン」。
母性と父性の違いというところに結論付けてみるとなんとなく腑に落ちる気がしてきた。あまりにステレオタイプですけど。
自分の好きな子のことを担当と言うジャニオタは妙な責任感まで持っている部分があると思います。それはジャニーズのシステム…幼い頃から成長を見せ続けることによって保護欲をそそり「私があの子をデビューさせる」的責任感を植え付ける…に寄る所が大きいですよね。その熱意は対照人物が無事デビューの日の目を見た後は、彼らの社会的地位の確立に向け費やされるわけで。実際追っかけ行為*1をしていないファンのベクトルも内向きなことには変わりが無いと思うのです。中心にあるのは「私とあの子」です。自分の担当が褒められて*2嬉しく思うファンの顔も担当さんに本気で恋するファンの顔も、 息子を持つ母の顔と同じなのではないか。

たんとう ―たう 【担当】<


(名)スル


受け持ってその事に当たること。引き受けること。
                                        
                  −exite辞書 国語辞典(大辞林 第二版)より

いや、私べつに近畿の担当でもなんでもないし。ってとこで「担当」という言葉が全くピンと来ないジャニオタもいるのです。「私の○○くん!」と心で育てているわけではなくただひたすらに見つめているだけ…そんな、真っ只中における傍観者的視点。見つめつづけるためならば遠方にまで足を運び、セールスにも貢献いたしましょう。ジャニーズのタレントさん達はアイドルとしてあまりに完成度が高く、不完全で危うく親近感のあるものをみつめるのとはまた違った楽しみを与えてくれます。必死で応援してスダーダムに押し上げる時期を過ぎた彼等には、応援する以外の夢を見ることが許されるのです。夢を提供してくれるアイドルとして揺ぎ無く立っているからこそこちらの想像力も存分に発揮できるというものです。




時間切れ。
ちゃんと筋立てて書きたいところだけれどとりあえず散漫なまま終わる。
私は自分が近畿担当だとか自担が誰だとかそういう用語には全く馴染みが無いしこれからも馴染めないと思いますが、「事務所担 近畿推し」と言われるのに悪い気はしない・・・なんだろうこの意識。担当って言う言葉は私には荷が勝ち過ぎってことかな。事務所担、ってちょっとアホっぽくて素敵なので憧れます。
と言いつつ、所詮近畿コンで号泣するような私は軽やかな事務所担には成り切れないんだろう…ね……。

*1:これが事務所公認のもとシステム化されていることにも仰天しますが。

*2:世間から自分が思う正当な評価を受けている