carmine跡地

はてダの跡地です

あいちゃん舞台

燕のいる駅を観て来ました。あー、泣いた。
あいばちゃんにとってこれが初舞台(初、と言っていいでしょう。)なのは、彼にとって良かったんだろうなあと思いました。難しくないから。あの題材で、まわりをベテランの俳優さん達が固めてしっかりと骨組みをつくって、それで失敗作のわけないよね。あいばちゃんが主役!とにかく主役の力量にかかっております!という舞台ではなく、駅を中心とした群像劇だから、視点が分散して結果補われるところは補われたという感じかなあ。私はそう感じました。この舞台なら、大絶賛されることは無いのかもしれないけれど印象の良い評価はもらえるだろうし、それがあいばちゃんの自信やキャリアに繋がってゆくのでは、と思います。
舞台としては「普通」という印象でしたが、感情的にはもう入れ込んじゃって大変でした。悲しいのなんの。ある日突然日常が断ち切られる悲しさ。高島くんはなーんにも気付いていなくて、そのときにならないとなんにも気付かなくて、それが悲しさを増す。少しずつ少しずつ軋みが大きくなっていった世界に気付かない。馬鹿だから気付かないのか、目を逸らしていたから気付かないのか。気付いたときには何もかもが遅かった。救いなんて何も無い、そこにあるのは巨大な絶望と死、というただただやるせないラストだった。悲しくて悲しくて、乗客達が内回り電車に乗って行ってしまう場面や二郎が別れを告げに来る場面は涙をだらだら流してしまいました。だって、ねえ、観てるこっちはわかるわけじゃないですか。電車に乗って行った乗客をその先で待ち受ける悲劇や、二郎が収容所に送られてしまうことだとか、隣町へ買い物に出て行く榊原さんがどうなってしまうのか、とか。そして高島くんは何も知らないんだ。悲しいね。