carmine跡地

はてダの跡地です

季節はめぐり

翔くんが「Still...」のラップ詞(&全体観)について語ったラジオレポ(アイディーe1moさん)を読んで、恋愛詞という捉えかたも多いんだと新鮮な気持ちです。
キンキファンなんかやってるからかな、詞の中に彼ら自身の物語を見出そうとしてしまうんですよね。完全に無意識なんですが*1。「Still...」を聴いた瞬間イメージしたのは、やっぱり翔くんと翔くんの周囲の人との物語かな。サクラップのせいでか、嵐5人というより翔くんのイメージで強烈に印象づいてる。ていうかこれ何年かに一度の名曲といっても過言ではないと思うんですよ。いろんなイメージがわーっと湧き出してきていろんな人の顔も思い浮かんだんだけど、真っ先に明確によみがえってきたのは2005年夏の雑誌「H」の翔くんインタビュー。自分とそしてかつてのジュニアの仲間たちのことを『あずみ』に例えた翔くんの言葉。それを思い出しました。あれは私にとってとても印象深いインタビューでした。曲を聴きながら次々と浮かんできたイメージは、ヨネやこはら、当時のミドルたち、そして何故か山ぴとトマ…私は自分が知ってる範囲でしか想像できないから翔くんの大学の仲間のことはよくわからないけれど、多分そこでもいろんな分岐点はあったはずで。違う道を選んだことでの痛みを知ってる。涙が出そうになるのは、この曲は過去を振り返って懐かしむ曲じゃないんだよね。後悔じゃなくて、いろんなこと全部を全て背負って、前を見て歩いてる。それはあまりに普通で誰もが経験するだろう思いで、気持ちがわかるからこそ、翔くんのまっすぐなラップを聴いてると目頭が熱くなるのかな。
ああ、言葉にするって難しい。わたし翔くんみたいにあたまよくないからー論理的な文章書けないー。現国は大得意でしたけど勉強したから出来るようになったのではなくてただ感覚で答えてただけでした。文章題は一発で正解だけど、どうしてその解答に辿り着いたのかと問われたら「え…だってそうだから」程度にしか説明できないという。アウトプット脳が働いて無いんですかね。でもさあ!「Still...」を聴いてどうして涙が出るのかってそれは言葉で説明なんてできないと思うの。私が感じてるこの気持ちを説明なんかしちゃったら、できちゃったら、それはもう違う形になってしまうと思うんだ。
音楽ってすごいなーすてきだなー。

*1:歌というものは自己表現だと思ってるからでもありますが。そこに何らかの自分自身の本当の気持ちがこめられて放たれるからこそ誰かの胸を打つんじゃないかな。こーちゃんのソロ曲(提供詞のもの)は私にとってとても新鮮でした。詞の内容ではなく音楽だったり映像だったり照明だったり空間演出を全てひっくるめてそこに堂本光一という人間が存在することでの表現、というそういう表現もあるのか、と。キンキのふたりのそれぞれのソロは、儚さとその真逆の強靭さの両方を孕んでいて癖になるんです…。